|
日本語教師のアシスタントとして、メルボルンで約9ヶ月にわたり働かせて頂きました。外国に行こうと思った元々の目的は英語学習で、日本語を教えると言うことは全く頭になかったのですが、英語をしっかり勉強するために、と思いきってやってみることにしました。外国に行くのも初めてなら、英会話学校のようなものにも行ったことがなく、実際に英語を使ったことはありませんでした。不安だらけではありましたが、それでも中学から大学受験に至るまで勉強したのだからなんとかなるだろうという気持ちもありました。最初4週間語学学校に行き、そこで基礎の基礎から学び、いよいよ日本語教師としての生活が始まりました。
自分の学校は「Secondary School」といって日本でいう中学校と高校が一緒になった学校で、中学生は日本語が必修科目となっています。ここからは何もかもが新鮮で想像以上の毎日でした。Native speakerの話す英語は語学学校でなんとか聞けるようになった英語とは全く違うもののように聞こえ、改めて状況の厳しさを感じ、またビジネスとして日本語教師をする先生はほとんど日本語が話せず、学校での生活だけでなく授業中のコミュニケーションも英語でした。従って、自分に期待される英語のレベルも思ったよりも高く、そこでは英語は話せたほうが良いというのではなく、必要不可欠なものという感じでした。
一番戸惑ったことは、学校における自分の立場、求められた役割です。行く前は、折り紙や日本の歌、料理などイベント的なことをするのが主な仕事と思っていました。しかし、そういうことは付加的なものであり、あくまでも基本は日本語を教えること。求められていた仕事はもう少し専門的なことでした。
英語を勉強したいというだけできた自分を少し浅はかに思った時もありました。ただやると決めたからにはやり抜きたいし、辛いのは最初からわかっていたと開き直り、やれるだけやろうと決めました。高校2年生や3年生になると小人数ではあるが、使われる日本語も難しく自分の出番も多くなり、必然的にそのクラスに行くことも多くなりました。自分もその生徒たちのことを中心に考え、彼らの日本語が上手くなるたびにやりがいを感じました。
また、それとは別に、もう一つ自分にとってとても嬉しかったことがあります。それは一人の女の子が自分にくれた宿題です。その生徒は中学1年生で、ある日を境に日本語の先生を通じて自分に日本語の勉強を頼んでくるようになりました。自分はその生徒のクラスに行ったことはなく、先生によると日本語に興味を持つようになりその子から先生に頼みにきたそうです。簡単な宿題ではあるが毎回きちんとやってきました。ノートに素朴な疑問を書いてきたこともありました。自分が来てから日本語に興味を持ち、いま日本語を学び始めたこの生徒は同じく英語を学び始めた自分には少し特別な存在でした。「自分のしていることがある人にとっては大きな意味を持つ可能性がある」自分が学校を辞めるまで、この生徒とのやりとりは続きました。
Nativeの中で9ヶ月間やってきたということは、もちろん英語に対し自信となり、その後の生活も変わってきました。しかし、学校というその国の一つの基盤であり、文化、社会、生活習慣を肌で感じられる環境の中で、どうして英語を勉強したいのか、もし英語が話せたらどうしていいのか、と聞かれると漠然としていた自分の英語学習に一つの答えが見つかったことが何よりの収穫であり、英語と言うものが自分の中で何より深い意味を持つようになったこと、またそのすばらしい舞台を与えてもらったことに今はとても感謝しています。
|